豊田市の概要
トヨタ自動車の企業城下町として知られる豊田市は、戦前まで挙母市と呼ばれていましたが、トヨタ自動車の名前を取り、豊田市と変更されました。しかし、トヨタ自動車の創業地は、刈谷市豊田町1丁目1番地、また、トヨタグループの発祥地は名古屋市西区則武新町であり、現在の豊田市からトヨタが生まれた訳ではないそうです。
また、同市は、三河国の戦国大名から江戸幕府の将軍家へと発展する松平氏・徳川氏の発祥地であり、歴史、由緒ある市でもあります。現在の松平の地は、工業都市豊田市に属し、大都市岡崎市が隣接しているとは思えないほど、静かで趣のある山間集落が広がっています
豊田のあゆみ
豊田市は、今から2万〜2万2,000年前の後期旧石器時代からの歴史があり、480か所を超える遺跡が確認されています。
市庁舎が建つ市街地が形成されたのは、江戸時代になってからのことで、慶長9年(1604年)衣城の初代城主・三宅安貞によるものです。安貞は、衣城(桜城)の築城とともに、西町・中町・竹生など7つの区分けをして城下町の体制を整えました。1664年、衣は天領(幕府の直轄地)となり、代官・鳥山牛之助清元が治めました。1681年には、本多忠利が城主となり「衣」を「挙母」に改め、町割りも北町を加えて挙母8町としました。本多氏の後は、内藤政苗が2万石で入城し、以後7代、約120年間に渡りこの地を治めました。
明治・大正時代の豊田市の前身、挙母町は、西三河地方唯一のマユの取引地として栄え“養蚕の街”と呼ばれていました。大正2年に、県下初の本格的な乗合自動車「尾三自動車」が開業し、西三河北部に路線網を拡大しました。さらに大正9年、現在の名鉄の三河鉄道(知立−挙母、岡崎−挙母間)が開通し、街の様子も次第に変化していきました。
昭和35年には市制施行10周年を記念して、同じ自動車の街・デトロイト市(アメリカ合衆国)と姉妹都市になり、文字どおり“東洋のデトロイト”、“クルマのまち”としてその性格を顕著なものにしていきました。また、近年、第二東名高速道路や東海環状自動車道の整備が進み、県内有数の交通の拠点になりつつあります。
2005年4月1日、周辺6町村(西加茂郡藤岡町・小原村、東加茂郡足助町・下山村・旭町・稲武町)と合併したことにより人口が40万人を突破、市域が愛知県の面積の約18%を占め、新生豊田市として新たなスタートを切りました。
豊田の名前の由来
豊田市の名の由来は、挙母市が全国有数の「クルマのまち」に成長したことと、地名の「挙母」が読みにくいということでした。挙母という地名には歴史があり、愛着を持つ市民も多く、一時は賛成・反対で市を二分するほどの論議が展開されましたが、翌34年1月、自動車産業とともに発展することを誓って市名を「豊田市」に変更しました。
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豊田市郷土資料館 |
| 住所: |
〒471-0079
愛知県豊田市陣中町1-21-2 [地図を見る]
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| 電話番号: |
0565-32-6561 |
| 開館時間: |
9:00〜17:00 |
| 休館日: |
毎週月曜日
年末年始(12/28〜1/4) |
| 入館料: |
無料(ただし特別展開催中は有料) |
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